ソクラテスとは?無知の知や問答法の意味やソフィストについて解説

ソクラテス

ギリシャ哲学の誕生とソクラテス

ここでは、次の3つのポイントをおさえましょう。

  1. 古代ギリシャにおいて、哲学が誕生した経緯
  2. 民主制のアテネでのソフィストの役割
  3. ソクラテスの思想と「問答法」「無知の知」という言葉

古代のギリシャと神話

ギリシャ神話は、紀元前8世紀に登場したポリスという都市国家において語り継がれました。

この頃ギリシャの人々は、ポリス市民としての共通意識をもち、同じ神を信じました。

神話において人間の人生は、すでに定められている運命として考えられています。

変えることのできない運命に翻弄されながら、それぞれの人生を生きる人々をえがいた

叙事詩や悲劇がこの時代に生まれています。

叙事詩では、ホモレスの『イリアス』や『オデュッセイア』が有名です。

ギリシャ自然哲学の誕生

紀元前6世紀頃になると、ギリシャ自然哲学が登場します。

ポリス市民は、奴隷制により自由な時間を持っていました。

閑暇(スコレー)を手にしたポリス市民は、観想(テオリア)の態度を身につけ、

これが哲学(フィロソフィア・愛知)の基礎となりました。

哲学というのは、「人間はなぜ生まれてきたのか」「人はどう生きていけばいいのか」といったことを考えることです。

世の中の全てを、神話で説明する神話的世界観を否定し、神様任せの態度をやめたのです。

人間の理性(ロゴス)に基づいて自然や社会を見つめ、合理的な世界観をもつようになりました。

万物の根源(アルケー)

全てを神話で解決する習慣をやめようとしたとき、自然現象の根源には、万物の根源(アルケー)が存在するという考え方が生まれました。

万物の根源(アルケー)とは、自然のあらゆる現象を生み出す構成元素のことです。

ギリシャ人は、この万物の根源が何かについて議論していくことになります。

例えばタレスは「水」、ピタゴラスは「数」、ヘラクレイトス「火」を万物の根源として考えました。

万物の根源が何かを探求する姿勢は、ギリシャ自然哲学の出発点となりました。

民主制へ移行したアテネ

紀元前5世紀半ば以降、都市国家アテネは貴族制から民主制へと移行しました。

民主制ということは、誰でも政治家になることが出来ますし、選挙もあります。

選挙に勝ち、民会で議論するためには、教養や弁論能力が求められます。

こうして人々の興味は、自然(ピュシス)から人為(ノモス)へと移っていきました。

ソフィスト(職業教師)

ソフィストとよばれた知識人は、謝礼をもらう職業教師でもありました。

彼らは人々に法律などの教養を教えましたが、中でもいかに上手く喋るかという弁論術(レトリケー)を重視しました。

プロタゴラスとゴルギアス

ソフィストのプロタゴラス(前500年頃~前430年頃)と、ゴルギアス(前483年~前376年)は、

当時人気のあったカリスマ講師の2人です。

特にプロタゴラスは、「人間は万物の尺度」という台詞が有名です。

彼は、「物の考え方や捉え方は、人それぞれ」という考えを持ちます。

例えば、コップに入った水を温かいと思うか冷たいと思うかは人によって違う、といった具合です。

こういった考え方を相対主義といい、プロタゴラスは「どの場所でも、誰にでも当てはまる絶対的真理は無い」としました。

ゴルギアスもプロタゴラスと同様に、絶対的真理を否定しています。

ソフィストの中には、詭弁を用いて真偽を重視しない者も多くいました。

考え方は人それぞれという相対的真理では、うまく価値の基準をずらせば、「悪いこと」を「善い事」にすり替えることができます。

こうした弁論方法が一般的になると政治家たちは、明言を避け、耳ざわりの良い発言ばかりをするようになります。

多数決を重視する民主主義では、もっともらしい話をするのが得意な政治家が当選してしまい、無責任な衆愚政治へと進んでしまいます。

ソクラテス

ギリシャ三大哲学者といわれる、ソクラテス、プラトン、アリストテレス。

一人目のソクラテスについて、説明します。

ソクラテス(前470年頃~前399年)は、相対的真理が流行する世の中で、

絶対的真理を探求した哲学者です。

徳(アレテー)

ソクラテスは、すべての事物に、徳(アレテー)があるとしました。

徳(アレテー)とは卓越性のことで、馬なら速く走ること、ペンなら文字を書けることです。

ソクラテスの考えた人間の徳は、魂(プシュケー)を善くし、善く生きることだそうです。

問答法

ソクラテスは、相対主義という武器を駆使して弁論術を操る政治家たちに、質問をしました。

例えば、「今話していた、正義というのはなんですか?」と相手に聞きます。

そこで相手が、「正しい行いのことです」と返せば、「正しい行いってなんですか?」と問います。

こうして質問を続けていくと、相手はいつか答えが出せなくなります。

このように、相手に質問を繰り返していく方法を「問答法」といいます。

ソクラテスはこの方法で、相手に考えの不十分さを気づかせましたが、

反感を持つ市民も多かったようです。

無知の知

ソクラテスは自分の無知をさらけ出し、人々と一緒に真理を見つけようとします。

自分が真理を知らないことを、ソクラテスは自覚していたのです。

これを「無知の知」といいます。

ソクラテスは、無知の自覚こそが真理を求める原動力になると考えました。

ソクラテスの真理を追究しようとする態度は、多くの人々の心を揺さぶりました。

しかし70歳の頃ソクラテスは、危険な教えで人心を惑わした罪で死刑となってしまいます。

逸話においてソクラテスは、刑の執行までに逃げる猶予を与えられていたそうですが、

「アテネ市民の自分は、アテネの法に従わなければならない」と逃げることはありませんでした。

このときのソクラテスがのこした「悪法もまた法なり」という言葉はよく知られています。

ソクラテスは刑死してしまいましたが、真理のために命を懸けた彼の生き方は、世の中が相対主義とは逆の方向に傾いていくきっかけともなります。

まとめ

古代ギリシャにおける哲学の誕生とソフィストの活躍、ソクラテスの概要を解説しました。

  1. 古代ギリシャになぜ哲学が生まれたのか
  2. 民主制のアテネにおけるソフィストの役割と相対的真理
  3. ソクラテスの「問答法」と「無知の知」の内容

試験対策では、上記の内容を説明できるようにしておきましょう。

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